相続で資産を受ける権利がある者のことを法定相続人といいます。当然ですが「人」である以上、人生の晩年に向けて長い時間を過ごした犬や猫に資産を継がせることはできません。近距離に家族のいない方が愛犬や愛猫を家族として見ていても、法律的な判断は実に画一的です。数十年前に夫を亡くし、世田谷区で一人で暮らしたAさんは、家族以上の存在である愛犬の暮らしを誰かが維持してくれないかと悩んでいました。
顧客属性
〇世田谷区京王線沿いの高級住宅街に戸建てを構える70代女性のAさん
〇40年前に不慮の事故で配偶者が死亡。以降親から相続した戸建てにて一人暮らし
〇法定相続人はおらず、愛犬が一匹いる
相続相談と「ペット」という呼び方
ファイナンシャルプランナーの世界で長らく活動してきて、筆者が最も違和感を感じる点は家族にも等しい犬や猫をペットと呼ぶところです。ペット保険のみならず、不動産はペットと居住できるか否か、相続資産にペットは含まれるかなどです。Aさんも本音は愛犬に資産を承継したいものの、現実的に難しいのは理解しています。一方でほかに財産を渡す人がおらず、手を打てていない現状があります。この状況は決してAさんなど一部の方に限った話ではありません。
相続人のいない資産は647億円
Aさんも自分で愛犬に資産を継がせられないことは理解しており、代替案として何があるか、見解を聞きたいとのスタンスでした。Aさんのように遺産の相続人がいないなどの理由で国庫に入ることになる財産は2021年に647億円となり、過去最高を記録したと報道されています。Aさんは「仮に自分が亡くなったら資産はどうなるのですか?」と疑問を持っていたので、流れを説明することにしました。
Aさんの希望は、せめて愛犬の世話をしてくれる人に資産を渡すことができたらいいということでした。我々の相談前に相続の基本形、特に遺留分などについてしっかりと勉強されており、我々が舌を巻くほどです。
一身に愛情を受けるAさんの愛犬は3歳。人間だと精悍な成年犬というところでしょうか。Aさんには4年前に亡くなった先代の愛犬がいました。13歳で亡くなった先代は寿命をまっとうしたものの、Aさんにとっては哀しみに打ちひしがれる毎日が続きました。その後縁あって当代と出会うわけですが、血の繋がっていない2匹に家族としての繋がりを見ているかもしれません。伏線回収となりますが、とてもペットと称することのできる関係性ではありません。そう考えた我々は、ある機会に愛犬の名前を聞き、その後は最後まで名前で呼ぶことを心がけました。
おひとりさまが亡くなったら資産はこうなる
法定相続人がおらず、公的遺言での相続指定がない方が亡くなった場合、家庭裁判所に専任された相続財産管理人が遺産を整理します。とはいえ「探しに探せば遺産承継の権利がある人がいるのではないか」と探すことはせず、公共料金や未払いの税金などを清算し、事実整理に留まる温度感です。あらためて財産分与の対象者がいないと確認したうえで、相続資産は国庫に入ります。
このように国庫納入は、あくまで「奥の手」であることがわかります。それでも647億円という資産が国庫に入っているのは資産承継者がいない方が多い現実と、公的遺言などの準備が不十分のまま亡くなっている方が多いため、遺された当事者(相続財産管理人を含む)が故人の意志を資産承継に反映させることができない現状を表しています。
Aさんに提案したおひとりさま信託とは
おひとりさま信託は、相談者のいない不安を金融機関が全面的にサポートする仕組みです。三井住友銀行は2019年12月からサービスを開始しています。Aさんのような立場の方は金融機関に資産を預け入れ、亡くなった際には死後事務にかかる部分を清算し、残りの資金を指定の受取人に支払います。遺留分の請求権が発生する前提ですが、受取人は法定相続人である必要はありません。
三井住友銀行はサービスのなかで、エンディングノートやSMSの活用を副次的な機能として提供しています。信託として金銭を預かります、だけではなく、自分の死後において誠実に対応が進むことの安心感を届けることが、制度の浸透に繋がっていると実感できる事例です。
Aさんはおひとりさま信託を知り、少し時間をかけて調べてみる、との返答でした。ひとりで暮らす時間が長かった分、さまざまな意思決定を時間をかけて判断してきたことがわかります。世田谷区の高級住宅街在住という背景上、これまで悪意のある(あからさまな手数料目的の)話もたくさんあったことでしょう。
おひとりさま信託の基本形のもと、受取人を死後ペットの世話をしてくれる人に確実に渡したい。信託サービスの座組で希望を叶えるものがペット信託です。金融機関に資産を委託しながら、ペットに生活基盤を残したいというAさんの意志を、実現してくれることでしょう。
信託サービスは手数料が高い?
一方で金融機関を介する信託サービス各種は手数料が高いことがネックです。おひとりさまだからといって数十万円の手数料がかかるサービスを契約しなければならないわけではありません。我々は金融機関を介した信託サービスの説明に限定せず、代替案となる家族信託を説明しました。また本来の遺言制度を活用しても、希望する受取人にあらかじめ準備のうえ、資産を承継できる仕組みをお伝えしました。
Aさんにどの方法で考えているかをそれとなく聞いてみたところ、「まあ、人により立場はいろいろあるから」との回答でした。達観という言葉が頭に浮かびます。我々資産のポートフォリオを構築し、見な漏る立場としては、この達観の先にある信頼感を得られれば、ちょっとやそっとのことでは動かない信頼関係を得ることができるのだな、と実感した接遇事例でした。答えを急がず、Aさんの意思決定を待ちたいと思います。相続相談においては、それもひとつ専門家の能力のバラメータではないかと考えています。